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駅前に設置された銅像

銅像が設置されている駅を見かけることがありますが、その理由はどういったものなのでしょうか?本記事では、駅前に銅像が設置される理由と、実例などをご紹介しています。

駅前に銅像が設置される理由

駅前に銅像が設置される理由には、必ずしも「このために」という根拠はないようです。そのエリアに縁のある人物や動物などを、ランドマークとして設置しているケースが多いと思われます。

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駅前に設置された銅像例

大野伴睦先生 御夫婦の像

岐阜羽島駅前に設置されている「大野伴睦先生 御夫婦の像」。大野伴睦は、岐阜県の新幹線駅の設置に尽力した人物であることから、羽鳥駅に設置されました。原型作者は彫刻家の北村西望です。

銅像の横にある道は睦通りと名付けられていて、岐阜羽島駅は大野伴睦、というイメージをもつ人は多い様子。特に年配の人なら知らない人はいないかもしれません。本人だけでなく伴侶と一緒の銅像というところがなごみます。

油屋熊八(あぶらやくまはち)の像

別府駅には、油屋熊八(あぶらやくまはち)の銅像が設置されています。油屋熊八は、別府観光の生みの親といわれていて、明るい笑顔で高く両手を挙げたポーズは、別府駅に降り立つとパッと目に入りますし、とても存在感があります。

油屋熊八は別府を観光地にしようと、別府港に桟橋をつくるために尽力したほか、観光バスを通して日本で始めてのバスガイドを採用するなど、さまざまな活動をしました。地獄めぐりも温泉マークも、油屋熊八のアイディアなのだそうです。

大館駅のハチ公像

ハチ公像は渋谷じゃないの?と思う人も多いのではないでしょうか?渋谷駅前のハチ公像は、昔から待ち合わせ場所として知られていますよね。実は銅像のモデルとなったハチ公のふるさとが秋田県大館市の大市内であることから大館駅にもハチ公像が設置されているのです。ここで生まれた小さな秋田犬が、ひょんなことから遠く離れた東京へと引き取られることとなり、忠犬ハチ公の有名すぎるエピソード生まれました。

その後ハチ公の銅像が渋谷駅に設置され、その話を聞いた有志によって、ハチ公の生まれ故郷である大館に銅像を設置したそうです。ちなみにハチ公の縁がきっかけとなり、1988年に渋谷駅と大館駅は姉妹駅調停を交わしました。

大友宗麟公像

大分駅府内中央口広場に、設置されている大友宗麟公像。大友宗麟は、豊後国府内(大分市)で生まれたことから、大分駅に銅像が設置されています。大友宗麟は、鎌倉時代から豊後国の守護で、宗麟は21代目の当主です。

子どものときは塩法師(しおほうし)という名前で、成人して義鎮(よししげ)に、1562年(永禄5年)には宗麟と名乗りました。大友宗麟は、北部九州を広く支配した戦国大名です。

中でもキリスト教を信仰し、さまざまな外国と貿易したことでも知られています。フランシスコ・ザビエルを招いてキリスト教に帰依し、少年使節団をローマ教皇に派遣したほか、西洋のさまざまなエッセンスを積極的に取り入れた街づくりに尽力し、当時の大分は、日本における西洋文化の発信地としてめざましく発展しました。